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安倍元総理の国葬の是非とさまざまな意見に対する個人的な見解

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現在、2022年9月27日に催される予定の安倍元総理の国葬について、さまざまな意見や言論が飛び交っています。

 

政治について話すにはさまざまな立場の人、考えの人がいることを考慮すべきなので大変に難しいのですが、最近の報道や人々の雰囲気を好ましく思えなかったため、自分の見解を述べてみることにしました。

 

これには自分がどのようなことを考えていたのかを後々に振り返るための備忘録的な側面が大きいです。

 

また、ここで述べることはあくまでも個人的な見解です。どなたかの意見を否定するために執筆しているつもりはありません。ブログ記事というのは双方向性のないコンテンツなので、ニュアンスを正しく伝えられないこともあるかと思います。もしも不快に思われた場合はブラウザバックすることを推奨します。

 

 

安倍元総理の国葬には賛成的

 

最初に、私は安倍元総理を評価していますが、その全ての政策を支持していたわけではありません。例えば、外国人労働者を増やそうとしたことについては反対でした。

 

スタンス的には「評価できる点は真っ当に評価するべき」という考え方ですね。

 

そして、安倍元総理の国葬については賛成的な立場です。

 

ただ、論理的に見て改めるべきポイントなどがあれば、考慮すべきかとも思います。

 

費用が「高い」という意見について

 

今回の国葬の費用は「16億6000万円程度」と報じられています。

 

これに対して「高い」という意見を見聞きするのですが、浅学な私にはこれが高いのか安いのかが全くわかりません

 

少なくとも近年で国葬が行われていない日本国内には参考となる指標が存在しないため、できれば近年に外国で行われた国葬の費用を提示していただき、そこに状況の違いなどを精査したうえで指摘していただければ私でも高いかどうかの判断ができると思います。

 

ちなみに日本の人口は約1億2500万人なので、単純な計算であれば一人当たり13.28円の税金を納めることができれば国葬を執り行えます。

 

リソース(優先度と分配)の問題

 

また、国葬に大金を叩くくらいならもっと別のことに使うべきだという意見もあります。

 

たしかに新型コロナウイルス感染症や物価の上昇などの影響で生活に困っている人もいますし、そうでなくとも他に費用を割くべきところがあるというのは理解できます。

 

しかし、それを理由に国葬をすべきではないと主張するのはいかがなものかと個人的には思ってしまいます。その理由は国葬の外交的な価値と、日本に向けられる他国からの評価を危惧してのことです。

 

歴史の長さには価値がある

 

普通に考えれば長期政権を維持するのはすごいことです。

 

例えばこのような謳い文句をよく目にしませんか?

  • ◯◯歴◯◯年のベテラン
  • 江戸時代から続く老舗
  • 中華4000年の歴史(※中国は建国から70年ちょっとです)

 

このように、歴史の長さには評価される性質があります。

 

他にも、日本の天皇家が外国から評価されているのも歴史の長さゆえです。

 

もちろん、天皇家の方々のお人柄という部分も大いにあると思いますが、歴史という一朝一夕ではどうにもできない威光がなければ、ここまで評価されることはないでしょう。

 

日本の場合は島国であるという地理的な要因と先人たちの努力、そして支配者が変わろうとも天皇家という権威が存在してきたおかげで、その民族的を大きく損なうことなく今日に至れています。

 

しかし、他国はなかなかにカオスな道程を歩んでいます。支配者や国家体系が変われば、文化はいとも容易く破壊されてしまいますから。

 

そのような世界の中で、国家体系や民族性が長く存続してきたというのはそれだけでも十分にすごいことであり、それゆえに天皇家は外国からも評価されています。

 

これらのことから、歴史の長さには評価される性質があることはご理解していただけると思います。

 

国家間の信頼関係

 

長期政権が続くということは国家間の信頼関係を築くためにも重要なことです。

 

例えば、あなたの職場の上司が毎月や毎年のペースで交代するとしましょう。

 

前回の上司と今回の上司では適したコミュニケーション方法が異なるため、交代の度に対応の仕方を模索する必要が出てきますし、そうなれば信頼関係を築くことも難しくなるでしょう。これは取引先に当てはめても同じことが言えます。

 

長く続くということは信頼関係を築くうえでとても重要なことなのです。

 

他国からの評価

 

以上の観点を踏まえれば、外交努力をして、さらに長期政権を築いた安部元総理に対する他国からの信頼や関心は高いはずです。

 

ともすれば、国家として、あるいは人として、弔いたいという想いを持っている他国は多いかと思います。

 

そのような中、渦中の日本国内で国葬反対が声高に叫ばれていては、日本人のモラルやロジック、そして信頼感を損なうことに繋がってしまうのではないかと私は心配でたまりません。

 

意見を言うときに気を付けるべきこと

 

国葬に対してどのような意見を持っていたとしても、それを大声で感情的に主張するのではなく、論理的に粛々と意見してもらいたいという想いがあります。

 

私も文章起こしをしているため冷静になれていますが、意見を直接的に交わし合った場合には気付かぬうちにヒートアップしてしまうかもしれません。

 

ついつい熱くなってしまったときは、故人の墓の前で喧嘩を始める自分の姿を想像してみてください。少しは気を鎮めることができるかと思います。

 

議論を交わすこと自体はとても良いことなので、話をする相手の気持ちを考えつつ、落ち着いて意見を言ってみてください。