まるでビジネス書やら経営セミナーで語られていそうな題名ですが、この問題定義に至った背景にはNintendo Switchのゲーム「あつまれ どうぶつの森」の存在があります。
実にカジュアルなアプローチです。
とは言え、今回の記事カテゴリーを「ゲーム」ではなく「社会・思考」に分類していることからも分かるとおり、これは数値の設定に関する話です。
数値の設定と聴いて何を思い浮かべるのかは個々により大きく異なると思いますが、中には仕事のノルマのようなものを想起した方もいらっしゃるかもしれません。もしそうだとすれば、その発想はあながち間違いではないかもしれません。
問題定義に至った背景
どうぶつの森シリーズには「金の道具」が存在していますが、「あつまれ どうぶつの森」の場合はそれが6種類も存在しています。
そして、そのうちの金のスコップと金のオノだけは普通に遊んでいても手に入らなかったため、先日、ついに入手方法をWEB検索するまでに至りました。
そこで判明した「金のオノ」の入手方法は、オノ系の道具を100本壊す(使い切る)というものでした。
しかし、いままでに壊したオノの本数は分かりません。
私は商店でショボいオノを大量に購入し、心を殺してがむしゃらに木を叩きました。
叩いて、叩いて、叩いて、叩いて、叩いて、叩きました。
そして、ショボいオノをおそらく60本近く壊したタイミングで、ようやく「金のオノ」のレシピを閃きました。
つまり、普通に遊んでいたら100本のオノを壊すことはなかったでしょう。
このとき、私は「あつまれ どうぶつの森」開発者に物申したくなりました。
「数値の設定を間違えていませんか?」
具体的な想定なしに設定された数値が引き起こす問題
この他にも「あつまれ どうぶつの森」には、回数をこなすとポイントや肩書きがもらえる「たぬきマイレージ」というシステムがあります。
要素としてはいわゆる収集系であり「トロフィー」に近いものです。スタンプラリーやら御朱印やら、収集要素が好きな日本人には欠かせない要素なのかもしれません。
この「たぬきマイレージ」ですが、〇〇〇〇〇〇を××××回するとスタンプを押してもらえる、といったシステムになっています。サカナを釣った回数などですね。
最初のうちは何も考えずに遊んでいるだけで少しずつ埋まっていきます。
しかし、ここにも金のオノと同様の問題があり、必要な回数(条件設定)が倍々に増えていきます。(例:5→50→250→1000)
……するとどうなるのか?
普通に遊んでいるだけでは「たぬきマイレージ」は半分しか埋まりません。
それを達成しようとすると、ただの作業になるのです。
なぜ数値には具体的な想定が必要なのか?
「金のオノ」のケースから具体的な話をしましょう。
「金のオノ」のレシピを閃くまでに壊さなければいけないオノの本数は100本。
- 「ショボいオノ」が壊れるまでの使用回数は40回
- 「いしのオノ」が壊れるまでの使用回数は100回
「金のオノ」のレシピを閃くための条件を知らないプレイヤーは、ストレスがかからない方、つまりは耐久性の高い「いしのオノ」を使用します。よって、金のオノを入手するためには、木などを100回×100本=10000回も叩く必要があります。
私はレシピを入手したら最低でも1つはDIYする遊び方をしていますが、そんな私の場合で「いしのオノ」を40本程度までしか壊していませんでした。これを使用回数に換算すると4000回です。ともすれば、5000回ならまだしも、10000回という数値は明らかに意図してオノを壊す必要があります。
もしかしたら壊れやすい「ショボいオノ」を使って40回×100本=4000回を叩く想定なのかもしれませんが、だとすればプレイヤーのストレスを軽減する「いしのオノ」が「金のオノ」への道筋を遠ざけていますので、やはり想定がおかしいと言わざるを得ません。
上述した内容から、壊さなければいけないオノの本数は4000回÷100回=40本が妥当な数値です。それ以上はただの作業となり、プレイヤーは苦痛こそ感じても、喜びや達成感は感じにくくなるでしょう。
※なお、壊す回数の設定はレシピに使用する木材の本数から逆算できるため、やはり開発者が具体的な想定をしていなかったか、あるいはゲーム内容と想定の方向性がまったく別の方向を見ていたと考えられます。
プレイヤーのことを真に慮るのであれば、開発者はプレイヤーが自発的に遊んでいる中で何かを達成したときの報酬として「金のオノ」や「たぬきマイレージ」の条件を設定するべきです。
そうでなければ「楽しむためのゲーム」が「つまらない作業」になってしまいます。
これに関しては前回の記事にも共通している内容だと思います。
もちろん、「あつまれ どうぶつの森」のすべてがダメなわけではありません。
例えば、サカナ図鑑やムシ図鑑をコンプリート(100%に)することで入手できるようになる「金のつりざお」や「金のあみ」はプレイヤーが自発的に遊びたくなるような仕掛けになっているため、いい条件設定だと思います。誘導が上手い、とも言えるかもしれません。
ダメな例としては、金のオノのように「条件達成のために作業をしなければならない」という状況になることです。
つまり、「楽しんで遊ぶこと」と「条件達成」は密接な関係にあるべきで、条件(数値)は遊びの延長線上に設定するべきなのです。
意味のない数値ではダメです。具体的な想定から来る意味のある数値が必要です。
誰かのために、具体性のある数値を設定しよう
ここまで「あつまれ どうぶつの森」から引用することで、具体性のない数値は誰のためにもならないことを紹介、説明してきましたが、これを社会の話に置き換えてみましょう。
前述した「条件(数値)は遊びの延長線上に設定するべき」という文章。
この「遊び」の部分を置き換えてみます。
「条件(数値)は手応えを感じる延長線上に設定するべき」
「条件(数値)は上達を感じる延長線上に設定するべき」
「条件(数値)は達成感を感じる延長線上に設定するべき」
「条件(数値)は習熟を感じる延長線上に設定するべき」
このような条件設定にしたならば、仕事の効率化を図ったり、生産性の向上を図ったりと、働くモチベーションにも直結します。
少なくとも私は誰のためにもならないこと、例えば「扉を10000回開け閉めするだけの仕事」には就きたくありません。誰にでもできる簡単なことではあるかもしれませんが、手応えや上達、達成感、習熟などと無縁な作業であり、繰り返すことに楽しみを見い出せないことは地獄です。
反対に、繰り返す中で上達を感じたり改善できる物事は楽しむことが可能です。
以上のことから、人間の心理を蔑ろにして、数値だけを見つめてはいけません。
数値を設定する側はそれが何のための数値であるのか、その意義についてしっかりと考えるべきなのです。