今週のお題「下書き供養」
今回は誰の為にもならない話をします。
まず初めに言いたいのは、
私は「モダン」という言葉を使われるのが嫌いということです。
「あのインテリアのモダン感はたまらないね」
「どうせならモダンなファッションをしてみたい」
「そのプロジェクトはモダンかつスマートにアウトソーシングするべきだ」
のように使われていますよ。(妄想)
いや、まぁ、そんないらない冗談は捨て置いて…
なぜモダンという言葉を使われたくないのかについて語りますね。
モダンの意味
モダンとは「現代的」という意味です。
あるいは「近代的」とか「
…これだけでは、なぜ使って欲しくないのかを推し量れないと思います。
そこで考えてみていただきたいのは、「モダン焼き」についてです。
モダン焼きはモダンなのか?
「モダン焼き」を日本語に換言すると、「今風焼き」になるでしょう。
考えてもみてください。
時は西暦2101年。
それはドラえもんがいるかもしれない時代。
そんな22世紀の人間は、モダン焼きを前にしてこう言うでしょう。
「モダン焼きってどこがモダン(22世紀風)なのよ?」
「確かに。モダンと言うよりもレトロ焼きね。」
そう――これがモダン焼き改め、レトロ焼き誕生の瞬間でした。
モダンと名付けたものは、いつかレトロになる
例として「モダン焼き」を出してみましたが、
モダンという言葉は、インテリアや建築、アートの世界で使われることが多いです。
例えば、モダン建築と呼ばれるのはこういう建築物です。
これを見て、
「なんて現代的な建物なんだ!」
とはなりませんよね?
モダンと呼称・カテゴライズされたものには、
「その時世において」「当時は」などの前提がついて回ります。
時間が流動するこの世界において、
モダンとは一瞬の切り抜きであり、
恒久的に名付けられるべきものではありません。
どちらかと言うと流行り(トレンド)に近い性質のものですから。
しかし、過去を観測するうえで「モダン○○」といった名称は既に定着しているため、今更にその矛盾の訂正を求めたところで、まったくの無意味です。
建物が風化していくのと同じように、
モダンというタグは削られ、消失していくにも関わらず……
そうして、過去にモダンと呼ばれたものも、いつかはレトロと呼ばれるのです。
モダンがモダンをダメにする、そんな罠
モダンという言葉自体には文句はありません。
数十年前から存在するタピオカジュースを買って、
「モダン! モダン!」と騒ぎ立てても何も問題ありません。
そう、モダンと評するのは特に問題ないのです。
モダンという名前を与えてしまうことが問題なのです。
「モダン」は普遍の概念ではありますが、
「もの」は不変の価値観では見られません。
モダンという言葉を、
現代的という概念を、
時間経過と共に推移するそれを、
固定された存在に当てはめるべきではないのです。
人々が言葉の使い方を誤ったために「矛盾したモダン」が生まれ、
その結果「モダン」は多義語に変容し、ややこしくなってしまったのです。
おそらく、会話に出てくる多くのモダンは「本当の意味」でのモダンなのでしょう。
しかし、矛盾したモダンが頭の片隅に存在している以上、モダンという言葉が出てきたときには、「どちらのモダンなのか」を推測することになります。
「○○○○○って建築物、想像していた以上にモダンだったよ。」
はたしてこのモダンはどちらのモダンなのか?
以上、『モダンという言葉を使わないで…』でした。
ちなみに「ポストモダン」も嫌いです。
そのモダンがいつの年代や事柄を指すのか明確にしなさい!