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【間違い性悪説】考えてみた結果、人間の本性は悪でした

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人間は本質的には悪い存在であると私は考えます。

 

つまりは性悪説ですね。

 

 Tips

性悪説とは「人間の本性は悪である」という説のこと。

 

私がそう考える理由は

「人間は生まれつき悪の心を持っているから」

 

……などと言った根拠のない感覚的な話ではなく、あくまでも論理的な話です

 

詳しく話すにあたって、まずは人間以外の生物について語りましょう。

 

ちなみに人間以外の生物もすべて悪い存在であると考えています。

 

知的生命体であるかどうかも問いませんので、そのことからも心や精神のお話でないことはお分かりいただけると思います。

 

今回の話は「悪」という言葉が用いられていることもあり、私が想像しているよりも刺激的に捉えられてしまう可能性がございます。おやつでも食べながら、適度にゆるい感覚でお読みください。

 

 

生物は生きるために食べる

 

まず、生物とは読んで字のごとく「生きる物」です。

 

そして、生きるということは「食べること」です。

 

肉食動物は草食動物を食べ、草食動物は植物を食べます。

肉食動物の写真
草食動物の写真

肉食動物は草食動物の生命を脅かしますし、草食動物は植物の生命を脅かします。

 

草食動物からすれば肉食動物は悪いヤツであり、

肉食動物からすれば狩られない草食動物は悪いヤツです。

 

しかし、彼らは別に「悪の心」を持っているから他者を脅かすのではありません。

 

体質的に、生きるためには食べることが必要なのです。

 

よって、生物がどのような精神性であるかに関わらず、生物は他者に害を成します

(しかも食物ピラミッドという相互関係付きです。)

 

大量殺人鬼は人間ではない

 

この世で最も人間を殺した生物が何であるかはご存知ですか?

 

たぶんご存知だと思いますが……そやつは と申します。

 

彼らは生きるために食事をする程度の感覚で、結果的に病原菌を蔓延させて人間の大量殺害を行っていたのです。

 

これを善悪で分類するなら間違いなく「悪」でしょう。

 

生物は悪である

 

他人 ヒト が嫌がることをしてはいけません」

 

私自身がそうであるように、このような教えを受けて育てられた人は多いでしょう。

 

その考えはとても大切なもので、

全人類が持っておくべき考えで、

社会基盤の根っこを成立させるためにとても重要な思想です。

 

他人が嫌がることをする者を善とは評さないでしょうし、真っ当に評価すれば悪に分類されるはずです。

 

他人 ヒト が嫌がることをしてはいけない……この言葉を基に善悪を振り分けるならば、他者に害を成さない生物はこの世に存在しないと思われるため、生物は総じて「悪」の性質を持っていると考えられます。

 

人間も悪である

 

人間は動物も穀物も植物も食べます。

 

化石燃料や自然環境といった有限資源も食べます(消費します)。

石油燃料を採掘している写真

自然環境の破壊は動物の生態系に影響を及ぼしますし、それらが地球温暖化に影響しているという説もあります。

 

生きるだけでたくさんの存在に害をなす以上、どのような聖人君子であっても悪は成しているのです。生類憐れみの令を出した徳川綱吉も、宗教上の理由で食肉を禁じている人も、須くです。

 

つまり、生物と同じように人間も「悪」の性質を持っていると言えます。

 

悪を抑制するための社会秩序

 

都市の写真

では、悪の性質を持った人間どもがなぜ安穏と日常生活を送っていられるのかと言いますと、それこそ 他人 ヒト が嫌がることをしてはいけません」という言葉があるからです。

 

常日頃から「いつ背後から襲われるか分かったもんじゃない!」と考えながら生活していたならば、身も心も持たないことは想像に難くありません。

 

そのような猜疑心が膨れ上がっている中では協力関係を築くことなんてとてもできませんし、人手が集まらなければ大きな事業は興せません。

 

効率性や生産性を向上するために、

そして人が生きやすい世界をつくるために、

一定以上の悪(何かに害を成す行為)は禁止しなければいけません

 

そのために、人々は村社会の慣習や国家の法律のような決めごとを……

つまりは 社会秩序 ルール をつくりました。

 

誰かの所有物を盗むことは悪ですよ。

誰かを傷つけることは悪ですよ。

――といった風にです。

 

禁止事項を破れば罰が与えられるため、過剰な悪は抑止され、軽い悪だけが残ります

 

これが私たち人間が築き上げた社会の姿です。

 

そもそも悪という概念をつくったこと自体が偽善であると評することもできるでしょうし、偽善という積み重ねがあったからこそ秩序を築くことができたとも言えます。

 

善であるか悪であるかを論じること自体がナンセンスである

 

人間を含めた生物すべてが悪の性質を持ち、

何をしても多面的に見れば悪が存在する以上、

人間が善であるか悪であるかを論じても何ら意味がありません

 

(それに悪かどうかは時代や状況でも変わりますし……)

 

善か悪かの二元論で語ってもいいのは、難しいことは分からないけれど情操教育が必要である子どもまでです。

 

大人になったら事実そのものを観測する必要があります。

 

そして、その事実に対して法律や秩序や未来予想や尊厳などを照らし合わせて、どのような答えを出すべきかを民主主義に基いて一人一人が考えるべきです。

 

生まれついての人間の心(精神性)はどのような性質なのか?

 

さて、ここまで人間は悪い性質を持っていると言ってきましたが、その原因は心によるものではありませんでした。

 

それならば、生まれついての人の心(精神性)はどのような性質を持っているのか?

 

それは本能100%です。

 

生まれたばかりの赤ちゃんに思考能力はありませんし、最初からできることと言えば泣くことと五感で感知することぐらいのものです。

 

つまり、生き物が本能的に行えることしかできません。

 

そんな空の器に少しずつ情報が注がれていき、そして人格が形成されていくのです。

 

本当の性悪説は「悪」について語っていない

 

ここまで性悪説について考えておいてなんですが……そもそもの話、実は性悪説を唱えた 荀子 じゅんし が言う「悪」は現代社会でイメージされる「悪=罪」とは意味合いが異なるようなのです。

 

 

荀子 じゅんし が用いた悪という言葉は「(人間はさまざまな意味で)弱い存在」という意味で使われており、つまるところ人間は本質的に弱い生き物であるのようなニュアンスなのだと思います。

 

荀子 じゅんし が唱えた性悪説が私たちのイメージする悪について論じていない以上、性悪説の「悪」を「悪」として考えること自体が間違いなわけで……やはり善悪について考えること自体が 無意味 ナンセンス だったのです。

 

ですからこの記事は間違った性悪説について考えたものなのでした。

 

(効果音♫)チャン チャン

 

はい。この大どんでん返しが今回のオチでした。うむ、締まりが悪いのう。