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創作活動のある生き方は再現性がないからこそ面白い!

創作活動のある生き方は再現性がないからこそ面白い

みなさんは何かしらの創作活動をしていらっしゃいますか?

 

創作活動は人生で最も要らないものと考える人もいらっしゃるかもしれません。

 

またはその反対で、人生で最も価値のあるものだと考える人もいるでしょう。

 

今回は私が創作活動を面白いと思える理由について考えていたときに導き出された見解の1つ――

 

――再現性がないからこそ面白い

 

このことについて語らせていただきます。

 

再現性とは何か?

 

まずはじめに再現性について説明しておきます。ご存知であれば飛ばしてください。

 

再現性について簡潔にまとめますと、同じ手順や条件下で実験などを行ったときに同じ結果を得られることです。

 

このように説明されると科学の話だと思われるかもしれませんか、実際には至極日常的な話です。

 

例えば、印刷機が何度もエラーを吐いてしまう現象に見舞われたことはありませんか?

印刷機の前で腕を組んでいる人の写真

機械に発生するエラーは偶然の結果ではなく、何らかの原因が発生している可能性が高いです。エラーをなくすためにはどのような状況下でエラーが発生しているのかを突き止める……つまりは再現性をチェックして、その原因となる何かを解消してあげる必要があります。

 

あるいは、仕事の「マニュアル」なども再現性を利用したものです。

 

Aのとき→①の対応をする

Bのとき→②の対応をする

 

マニュアルとは特定の状況下で想定し得る最適な結果を得るために、再現性の高い方法をノウハウとしてまとめたものなのです。

 

他にも「料理のレシピ」や「設計図」、「教育プログラム」や「反復練習」なども再現性を利用していると言えます。

 

再現性はとても身近な存在なのです。

 

再現性は社会を豊かにしている

 

再現性を利用することで、人々は効率的に成果を出すことに成功しています

 

先述した「マニュアル」や「設計図」などはまさにその一例です。

 

例えば、今や生活に欠かせなくなってしまったスマートフォンが多くの人の手元にあるのは再現性の 賜物 たまもの ですし、とりあえずは学校や会社の言う通りにしておけば良いのも再現性の賜物です(※後者は諸説あります)。

 

あやゆる場面で恩恵をもたらしている再現性は、なくてはならぬ概念です。

 

再現性のあることを繰り返すのはつまらない

 

しかし、人間というのは誠に不思議な生き物です。

 

暮らしを豊かにするためには効率が重要であると知っているくせに、ひたすらに効率だけを追求した働き方には飽きてしまいがちです。

 

例えば、ベルトコンベアで流れてくるケーキにいちごを乗せる作業があったとして、それを何時間も続けていて飽きずにいられますか? 面白いと思えますか?

ベルトコンベアの写真

それで賃金をもらえると考えれば簡単で楽な良い仕事なのかもしれませんが、その仕事から人生に彩を得ることは難しいでしょう。

 

創作活動には明白な再現性がない

 

創作活動には再現性がありません。

 

それはブログや動画投稿などにも当てはまることです。

 

そうですね……例えば以下のようなことを言っている人がいたとしましょう。

 

「○○○○すればアクセス数が増える!」

「○○○○すれば再生数やチャンネル登録者数が増える!」

 

その人のアドバイスに従ってみた結果、効果の出る人もいるかもしれませんか、まったく効果が出ない人も必ず存在します。

 

なぜなら、数多の条件が一致していなければ再現性は高くならないからです。

 

例えば、人間と違って一定の条件を揃えやすい機械の仕事は再現性が高いですが、能力・知識・経験・場所性・資金・性格・感性・好み・趣味・信念・感情・体調などのありとあらゆる影響を受けやすい人間の仕事は再現性が低いです。

 

特に個人個人によって条件がまったく異なる創作活動ではその傾向が顕著に表れます

 

一応、最初のうちは基本的な知識や技術がないので学習する必要がありますし、学習の段階ではそれなりに高い再現性もあるでしょう。学校教育と一緒です。

 

しかし、実際に創作活動を始めてみると成功者の体験を完全に再現することは不可能ですし、似たような成果を出すことすら難しいです。

 

人は再現性がないことを嫌う

 

再現性がない物事は効率的ではありませんし、成果も出しづらいです。

 

だから、お笑い芸人や音楽活動、創作活動などに取り組む人たちは、世俗の人からは冷たい目で見られがちです(※諸説あります)。

 

そのくせ、そのような人たちはテレビやネットで見かける芸能人やミュージシャンをことさら話題にあげるのです(※諸説あります)。

 

そして、有名になれていない有象無象のクリエイターたちに対しては、国民の義務である労働を果たしていないだとか、安定志向のない馬鹿なやつだとか、真面目に就職しろだとか、恥ずかしいやつだと評します(※諸説あります)。

 

よしんばそのことを口に出していなくても、人々の集合的無意識は、成果を出せていないクリエイターに対して風当たりが強いです(※諸説あります)。

 

創作活動のように再現性がないことこそが面白い

 

人は再現性のない事柄を、無駄や効率の悪いことを嫌います。

 

それは私とて同じです。

 

しかし、再現性のあるものは面白いものなのでしょうか?

 

ケーキにいちごを乗せるだけの作業は面白いのでしょうか?

 

 

私は再現性のない活動にこそ、楽しさや面白さを見出しています。

 

ブログで成果を出したいと思う反面で、もしもブログに再現性があったとしたならば、私はきっとブログ運営などしていなかったはずだと断言できます。

 

……再現性がないことは非常につらいことです。

 

……成果に結びつく保証もないまま、ひたすら創作活動に明け暮れる日々。

 

しかし、必ず上手くいくと分かっていたら――つまらない作業に成り果てます

 

 

「いやいや、マニュアルづくりとか楽しいよ?」と言うようなご意見もあるかもしれません。実際、マニュアルづくりは楽しいです。全面的に同意します。

 

なぜなら、マニュアルづくりとは再現性を生み出す過程であり、創作活動だからです。

 

再現性を確立するまでの作業は楽しいですが、確立した後の作業は苦痛を伴います。

 

人生には熱中できるものや夢中になれるものが必要

 

ミニギターを弾く男性の写真

決まったやり取りや作業を繰り返すだけ……。

 

これは効率的ではありますが、まったく 興奮する余地 エクスタシー がありません。

 

気が付けば徹夜してまで熱中してしまうもの。思わず夢中になってしまうもの。

 

人間が生きるためにはそのような情熱を注げる何かが必要です。

 

日常生活の基本は再現性で構成されている

 

余暇時間に行うこととして、旅行やレジャー、映画鑑賞などがあります。

 

これらは非日常を体験したい欲求の表れであり、日常生活がいかに再現性で成り立っているのかを証明しています。

 

 

日常を振り返ってみれば分かります。

 

 6時00分 起床

 7時20分 家を出る

 8時20分 会社や学校に到着

 

このような日々のスケジュールは起床から出発までにかかる時間が約1時間20分であることと、通勤・通学にかかる時間が約1時間であることを高い再現性で実行できているからこそ組み立てられるのです。

 

積雪や路面凍結、電車の遅延などで条件が変われば遅刻することもありますし、仮に普段より時間がかかることを見越して早めに出発してみても、到着にかかる時間を予測するためのデータがないためにそれでも遅刻してしまう可能性も十分にあります。

 

つまり、日常生活は再現性がある前提で成り立っているのです。

 

だからこそ、予期せぬトラブルや急な仕事が舞い込んだときには、めちゃくちゃ疲れたり、上手くいかなかったりと、言葉どおり【非常に】疲れるわけです。

 

このように、再現性の価値・恩恵の度合いは計り知れません。

 

再現性に頼っていては体験できないこともある

 

再現性の有用性について説明してみましたが、あくまでも有用性は有用性でしかなく、やはり面白いものだとは思えません。

 

結果の分かっている道筋をなぞること。

 

それは地図アプリを使って目的地までナビしてもらうことと同じです。

 

しかし、地図アプリなしで目的地まで歩いてみたらどうなるでしょうか?

 

当然のように非効率的であり、目的地にたどり着けない可能性もあります。

 

ですが、想像してみてください。

 

 知らない土地を歩いていたら猫の集会所を見つけた。

 

 道に迷っていたら、気を引かれる喫茶店を見つけた。

 

 方向が分からず困っていたら親切な人に助けてもらえた。

 

再現性に頼っているからこそ体験できないこともたくさんあるはずです。

 

やりたくないことには再現性を。再現性がないことは面白い。

 

再現性はとても重要なことです。

 

再現性があるからこそ豊かな暮らしや効率的な働き方が可能なわけですから、それを否定するつもりは毛頭ありません。

 

しかし、再現性だけで構成される生き方はお世辞にも面白いものとは言えません。

 

 

……実のところ、私は再現性を作ることを得意とするタイプの人間です。

 

仕事はいつだって効率化したくてたまらないですし、学生時代のテストでは教師ごとの出題傾向を分析してヤマを張っていました。どちらも苦労を最小限に抑えるための努力ですね。

 

つまり、【やりたくないこと】を削減するために再現性を作り出し、再現性を付与したものはできれば【やりたくない(面白くない)】のだと思います。

 

これをひっくり返して考えてみると、【面白いもの】には再現性を付与できない(しにくい)という答えが出て来ます。

 

考えてみれば、私はダーツやビリヤードが好きですが、ダーツやビリヤードは毎回同じ結果を再現することがとても難しい遊びで、だからこそやりがいがあります。つまり――

 

 

再現性の高いもの=つまらない

 

再現性の低いもの=面白い

 

 

この等式が人間の深層心理なのではないでしょうか?

 

生き方はそれぞれの自由

 

個人によってどのような人生を送りたいのかは異なります。

 

社会に貢献することで無上の喜びを覚える人もいれば、自分が面白いと思える(やりたいことをやる)生き方をしたいと考える人もいるでしょう。

 

人様に迷惑をかけなければ、それぞれが求めている人生を送れる。そんなフリースタイルが認められる社会であって欲しい。

 

……そんなことを六畳間の一室でひとりごとのように願いつつ、この徒然なる記事を終わりたいと思います。

 

思考と嗜好の垂れ流しにお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

 

 追伸

最終的に創作活動の有無はメインテーマではなかったかもしれません……思考をアウトプットして整理するのって大切なことですね (´・ω・`)