世の中には「逃げたら敗け」という考え方があります。
さらに言えば……「逃げ出すやつは根性がない! そんなやつは何をやっても上手くいかない! さっさと辞めちまえ!」といったザ・体育会系的な根性論もあります。
果たして逃げることは悪いことなのでしょうか?
それとも実はかえって良いことなのでしょうか?
ーーみなさまはどう考えますか?
私は逃げることを肯定的に捉えています。
そんな逃げることの是非について、今日はお話ししてみたいと思います。
- 逃げることのの是非について話し合ってみた
- 逃げることと諦めることは同じなのか?
- 逃げると諦めるの単語の意味
- ゲームで考えると分かりやすい
- 逃げるというのは状況を変えること
- 時には根性も必要ですが……
- 逃げるという選択肢があってもいい
逃げることのの是非について話し合ってみた
私には根性論社会で生きている友人がいます。
補足をしておきますと、彼自身が根性論を好いているわけではなく、夢や目標のようなものを実現するためには根性論社会を通過しなければいけないという、止むに止まれぬ状況です。
そんな彼は逃げることを否定的に捉えていました。
おそらく、これまでの経験のせいで思考に偏りがあったのだと思います。
逃げることと諦めることは同じなのか?
友人に詳しく話を聴いてみると、どうやら彼は「逃げる」ことと「諦める」ことを同一視しているような様子が見受けられました。
しかし、私は「逃げ」と「諦め」はまったく別の物事であると考えています。
そうですね……少し例え話をしてみましょうか。
東京に上京した漫画家志望の青年、漫画家為太郎。
漫画家為太郎は漫画を出版しているA社に過去12回ネームを持ち込んでいます。
今回は13回目のネーム持ち込みでしたが、まったく良い評価がもらえませんでした。
しかしそれでも、漫画家為太郎は自分の描く漫画は面白いと思っていました。
このままA社に持ち込みを続けても連載は夢のまた夢……そう考えた漫画家為太郎は、試しにB社に同じネームを持ち込んでみました。
すると、漫画家為太郎のネームを読んだB社編集者は「この漫画は面白い!」と言ってくれました。
それからというもの、希望を見いだした漫画家為太郎は、連載会議を通すためのネームをB社に持ち込むようになりました。
さて、A社から逃げた漫画家為太郎ですが、彼は漫画を描くのを諦めたのでしょうか?
ーー違いますよね。
たしかに漫画家為太郎は逃げましたが、夢を諦めたわけではありませんね。
逃げると諦めるの単語の意味
例え話だけでは納得できない方もいらっしゃるかもしれません。
そこで、今度は「逃げる」と「諦める」、それぞれの単語の意味を確認してみましょうか。
危険を避ける。不利な状況に陥らないようにする。
見込みがないので仕方がないと思い切る。
このようにそれぞれの単語の意味は異なっています。
よって、「逃げる」ことと「諦める」ことを同一視するのは誤りです。
ゲームで考えると分かりやすい
ゲームで例えてみると、もっと分かりやすいかもしれません。
RPG系のゲームには「逃げる」コマンドが用意されていることが多いです。
もしも味方キャラクターの体力が減っていたら……戦いますか? 逃げますか?
①戦った場合
負ければゲームオーバー。ゲームは強制終了されます。
勝てた場合でも余計な消耗が増えるためにコスパが悪いことが多いです。
②逃げた場合
逃げた場合は近くの町の宿屋で体力を回復してから再び戦いに赴くことができます。
今度は体力に余裕がある状態なので、消耗を抑えて勝ち目のある戦いができることでしょう。
逃げるというのは状況を変えること
逃げるというのは状況を変えることです。
逃げることは情けないし根性がない。それはその通りであるのかもしれません。
しかし、状況を変えることによって閉ざされていた道が開かれる可能性があります。
- 自分が理不尽な目に遭わされているので、別の環境に移ることでリセットする。
- 残業し続けても頭が働かないので、明日、すっきりした頭で仕事の続きをする。
「逃げ」とは可能性の模索、選択肢の拡充です。
もちろん、逃げると言ってもそこで手を止めてしまえば、それは諦めになるでしょう。
諦めてしまった場合でも、その後に今まで知らなかった生き方や、自分の人生をより豊かにする方法に巡り合う可能性もあり得ます。
私が考えるに、ネガティブな気持ちで逃げてしまった場合には、そこに後悔が残るために良い結果には結びつきにくいと思います。
反対にポジティブな気持ちで逃げ出した場合には、視野や可能性の広がりによって現状維持よりも良い結果に結びつく可能性が生まれると思います。
時には根性も必要ですが……
もちろん、時には根気強く粘らないといけない背水の陣のような状況もあるでしょうし、それを根性で乗り切った結果、自信を得ることができたという人もいると思います。
しかし、ここで勘違いしてはいけないことがあります。
逃げることが間違いだったと思い込むことです。
自分は根性論で成功できたとしても、他の人も根性論で成功するとは限りませんし、決して根性論以外の選択肢が間違っていることの証明にはなりません。
店長や経営者は根性論を押し付けてくるきらいがあるので自衛しましょう。
逃げるという選択肢があってもいい
「もしも」の話は未知数です。
成功も、失敗も、行動の結果として表れるものです。
小説「第四間氷期」でも描かれていましたが、選択を裁けるのは当時を生きる者ではなく、未来に生きる者たちです。
あの時にああしておけば良かった……それは結果が出た後だから言えることです。
逃げないことが正解なのかは誰にも分かりませんし
…逃げることが正解なのかも誰にも分かりません。
未来の結果を完璧に予測できない以上、正解の分からない問題に対して決定を下すことしかできません。(進撃の巨人でもこのような展開が頻繁にありましたね。)
逃げたいと思わざるを得ない状況に身を置かれている場合、その環境が自分にとってプラスに働いているとは少し考えづらいです。ですから、自分の許容範囲を超えていて、なおかつ逃げることができるのであれば逃げても良いのではないでしょうか。
逃げることは選択肢の1つ。
そうであって然るべきだと私は考えます。
(……だからと言って、バイトドタキャンのような自分勝手を推奨しているわけではないので誤解なさらぬようにお願いします。)
本題は以上となります。
話に出てきたついでに私の好きな作品について少しだけ語らせてください。
私の好きな小説家である安部公房の著書の1つで、いつか話していた水棲人間の出てくる小説です。作者の医学知識ゆえか緻密な描写がなされており、私は本当に水棲人間が実現できるのではないかという感覚に陥りさえしました。描写力の高さと緻密さが安部公房の魅力ですね。安部公房の作品は4つ読みましたが、「砂の女」の次に好きなのが第四間氷期です。
知らない人の方が珍しいかもしれない、アニメ化もされている大人気漫画です。最近アニメのThe Final Seasonを鑑賞したのですが、いや~、先が読めない展開がものすごく面白いですね。漫画の方は完結済みだと聴きましたが、エレンの出した結論どおりの結末になるのかがすごく気になります。現実とは違って絶対的な種族差があるからこその結論ですよね。
↓その後のエレンへの感想